流星群、プラリネ、アイルから見る、アイドルとしてのジュリアとその変化

ちょいと今回はジュリアの曲に関して考えてみようと思います。

ジュリアは歌に対して特別な思い入れを持っているキャラです。その性格を特徴づけるためか、彼女の個人曲は全て実際にバンドを組んで活動している、nano.RIPEのきみコさんより提供されていますね。

専業の作詞家ではなく、あえてジュリアと近い立ち位置に居る方に提供を頼んだあたり、ジュリアというキャラを考える際に曲が大きな位置を占めているように思われます。

という訳で今回は、ジュリアの個人曲である流星群、プラリネ、アイルの歌詞から、アイマス世界におけるアイドルとしてのジュリアとその変化を考えていきます。

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流星群、プラリネ、アイルに見るジュリアの変化

これらの曲はいずれも一人称が「あたし」となっており、ジュリアの一人称であることが推測されます。なので、今回はその前提で考察していきますね。

流星群から溢れる、少しの不安と大きな希望

ジュリアの最初の曲である流星群では、未来は希望に満ちたものとして描かれています。

空を彩る星に乗ってあたしは未来へ
願い事をたくさん詰めた鞄を握りしめ

冒頭の歌詞からして、ジュリアが未来を明るいものだと捉えていることを示唆しているように見えますね。

「彩る」という鮮やかさを感じる表現を用いていること、そしてその彩られている星に乗って未来へ行くという歌詞は、どこか希望に満ちた未来を思わせます。

流星群には、不安な心情を描いた歌詞もありますが、

あたしはヒトリボッチだけど怖くなかった
暗闇を照らすように光が一筋浮かぶ
ココから未来まで道が出来たみたい

涙が落ちる音を合図に走りだそう

このように、不安の心情が描いてあっても、その直後に希望を感じさせる歌詞がやってきます。不安や悲しみ以上に未来への希望が上回っている印象ですね。
なぜ不安や悲しみ以上に未来への希望が勝っているのか? その答えとしては、自分の持っている願い事(夢)がきっと叶うと思っているからでしょう。

空を彩る星に乗って輝く未来へ
願い事とあなたの手を強く握りしめ

曲の終盤においては、それまでは単に「未来」と表現されていたものが「輝く未来」と表わされるようになっています。その輝く未来で手に入っているものが、握りしめている「願い事」であり「あなた」なのでしょう。

流星群という曲は、立ち位置や歌詞の内容から考えるに、夢を叶えようと決意して間もない頃だと思われます。

ずっとずっと夢見てたキラキラのステージへ
振り返らずに走ってゆこう たとえ遠くたって

流星群で感じられる明るい未来への印象は、おそらくこの歌詞が一番の理由でしょう。ずっとずっと夢見てたものが、手に届く現実として目の前にある。そういった希望に満ち溢れている点が、全体の歌詞として表れているのだと思われます。

夢というものは、おそらく歩み始めた直後が一番希望に満ちているものです。まだ何も知らないからこそ、もっとも希望を持つことができる。

流星群のジュリアが夢はきっと叶うと考えているのは、歌詞だけではなくタイトルからも読み取れます。流れ星に願いを3回願えば叶うという言い伝えがありますが、これも願い事が叶うことを示唆していると思えます。流星群というタイトルはそれも込みでつけられたものではないでしょうか。

願い事はもう唱えた?あたしと未来へ

という歌詞が最後にきますが、やはりこれは流れ星の言い伝えを踏まえた上での歌詞でしょう。「夢」ではなく、あえて「願い事」という単語が多く使われていることからも、その可能性は高い。

流星群という曲は、このように流れ星に願いを唱えて未来へ向かっていくという歌詞で締めくくられます。上に書いた言い伝えを踏まえるのならば、流星群の時点では願いはきっと叶うと考えているように思えますね。

夢へ向かって歩みだしたこの時点のジュリアは、未来というものをかなり肯定的に捉えています。

迷いと不安から、自分自身への希望に繋がっていくプラリネ

夢を歩み始めた時の希望を歌っている流星群とは裏腹に、プラリネは夢に対する不安や迷いが大きくなっています。

夢は夢として眠るときに見るものでしょう?
つまらない常識を捨ててあたしやっと大人になれた

後ろ指さされるくらい怖くなんてないから もう
あなたからもらったこの場所でもう一度素直になろう

悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見るの
まだあたしにだって子供みたいに信じる力があるよ

流星群の頃のジュリアは未来に対する希望に満ちていました。
しかし、プラリネでは「夢は夢として~」「もう一度素直になろう」「まだあたしにだって~」といったように、一度夢を諦めかけたと思えるような表現が散りばめられています。

流星群の頃に見ていた夢というのは、まだ何も知らないからこそ希望に満ちていたものだったのでしょう。その頃とプラリネとの変化を比べると、様々な困難に当たったことが予想されます。それがこの悲観的とも思える歌詞に繋がっているのだと思われます。

ですが、プラリネという曲はただ不安や迷いで終わっていく訳ではありません。曲が進む毎に少しずつ、流星群の頃に見ていた夢を取り戻していくジュリアの心境が描かれています。

 未来ではなく自分自身を信じるように変化していく

悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見るの
まだあたしにだって子供みたいに信じる力があるよ

嬉しくなって優しくなって前よりちょっと強くなるの
ほらあたしにだって出来ることが少しずつ増えてゆくよ

悲しくなって悔しくなって自分にもっと夢を見るの
まだあたしにだって出来ることが星が降るよに光るよ

これらの引用した歌詞は、時系列順になっていますが、後半になるほどある種の力強さが増していっているように思えます。

「悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見るの」という歌詞が、最後に「悲しくなって悔しくなって自分にもっと夢を見るの」という風に変化している点は、その象徴に思えます。

どういうことかというと、最初の「悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見るの」という歌詞は、悪い言い方をしてしまえば現実から逃げて未来に期待している態度と捉えることもできるんですよ。

すごく意地の悪い見方をすれば、この「悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見る」というのは、「今悲しかろうが悔しかろうが、時間が経てば全てなんとかなる」という態度とも解釈できる。

もっとも実際にはそこまで極端な話ではなく、「悲しくても悔しくても、夢が叶う未来を信じる」ということでしょう。ですが、完全に上記の要素がないという訳ではないと思います。

というのも、プラリネのジュリアは先ほど書いたように「悲しくたって悔しくたって未来にちょっと夢を見るの」という歌詞が「悲しくなって悔しくなって自分にもっと夢を見るの」という変化をしているんですね。信じる対象が、未来から自分自身に変わっています。上記の歌詞の流れというのは、その象徴ではないでしょうか。

プラリネでジュリアが感じている「悲しさ」と「悔しさ」というのは、自分自身の実力のなさであったり、本当に夢が叶うのかという不安が原因なんだろうと思います。しかし、曲が進むにつれて「あたしにだって出来ることが少しずつ増えて」いっています。

「悲しくなって悔しくなって」という感情を持ってなお、自分にできることがあることを確認していって「自分にもっと夢を見るの」という歌詞に繋がるのはつまり、弱い自分を受け入れた上で、自分自身の力で未来を切り開いていくという宣言に思えるんですよ。

「悲しくたって悔しくたって」という言い回しは、その感情の原因となったものから少しだけ目を背けているようにも受け取れます。しかし、それが最後には「悲しくなって悔しくなって」と、全て受け入れた上で「自分にもっと夢を見る」という歌詞に繋がっていくわけです。

流星群の頃は、ただ未来に希望を持つという要素が強く出ていました。しかし、プラリネの頃になると、自分自身で未来を切り開くことを決意した上で、未来を信じるという風に変化しているように思えます。

プラリネでは、流星群の頃に持っていた希望を失ってしまった?

その代わりに、流星群の頃に持っていた希望を無くしてしまった……と、思っていましたが、どうもそうでもなさそうです。

悲しくなって悔しくなって自分にもっと夢を見るの
まだあたしにだって出来ることが星が降るよに光るよ

終わり直前の歌詞に「星が降るよに光るよ」とあります。

プラリネはこれまで星に関する表現が出ていないので普通なら単なる比喩表現でしかありませんが、ジュリアはご存知の通り流星群という曲を以前に歌っています。

「星が降るよに光るよ」という表現は、明らかに流星群を意識したものでしょう。上に書いたように、流星群というのは未来への希望に満ちている曲です。

すると、ここでその流星群の要素を入れてきたということは、その頃に持っていた希望を暗示していると読み取ることもできます。

上にも書いたように、プラリネのジュリアは流星群の頃に持っていた未来への希望を一度無くしかけています。しかし、その無くしかけた希望というものも、この流星群を思わせる歌詞によって再び戻ってきたのではないでしょうか。

だからこそ最後の、

未来はきっと子供みたいに信じるほどに光るよ

という歌詞に繋がっていくのだと思います。

まとめますとプラリネという曲は、自分の弱さを受け入れた上で未来を切り開いていくという意志と、その上で流星群の頃に持っていた希望や夢を取り戻したジュリアを描いているのではないでしょうか。

流星群の頃に持っていた夢というのは、まだ憧れといった部分も多く残していたのだと思います。それが実際夢に向かって進んでいくとなると、様々な困難が降りかかってくるでしょうし、憧れとは程遠い現実というのも見てしまうでしょう。

プラリネは、そうした悩みや困難を全て受け入れた上で、ただ憧れるだけでなく自分の力で道を切り開いていこうという決意の曲でもあるのだと思います。

自分自身で道を切り開くアイル

そしてゲッサンミリオンライブ3巻に付属してきたアイル。

この曲は立ち位置が多少特殊ですが、流星群、プラリネを経たジュリアの曲だと考えてもしっくりきます。

アイルを象徴する単語として、「道」があります。この単語は流星群とプラリネの時にも出てきていますので比べてみましょう。

暗闇を照らすように光が一筋浮かぶ
ココから未来まで道が出来たみたい

後戻り出来ないくらい遠くまで来たんだ もう
あなたからもらったなにもかも道しるべにしてきたよ

賞賛だってなくったって構わない
カオを上げて道なき道をゆくんだよ

上から流星群、プラリネ、アイルの歌詞になってます。

全体の歌詞を見てみますと、流星群およびプラリネの頃の「道」と、アイルでの「道」という言葉の示すものは明確に変化しています。

というのも、流星群とプラリネにおける「道」というものは、既存のレールであったり人から示された道しるべであったりというニュアンスが強いんですね。

しかしアイルでは、「道なき道」や「あたしだけの道の先で」など、誰も歩んだことのない道を自分自身で切り拓いていくというものになっています。これらはアイルのテーマではないでしょうか。「誰も歩んだことのない、自分だけの道を進む」という。

アイルという曲は、流星群とプラリネを経たジュリアが出した答えなんだと思っています。

少し上で「プラリネは自分の弱さを受け入れた上で未来を切り開いていくという意志と、その上で流星群の頃に持っていた希望や夢を取り戻したジュリアを描いている」と書きました。このプラリネの意志と流星群の夢や希望を持ったジュリアの出した答えこそが、アイルという曲ではないでしょうか。

ジュリアがアイルでたどり着いた答え

では、ジュリアがアイルで出した答えとは、具体的にどんなものなのか。

それは、「夢へ向かって歩み続けることそれ自体に価値がある」というものだと思います。

まず流星群とプラリネでは、未来や夢というものに焦点が当たっていました。しかしアイルでは、未来や夢といった結果よりも、道なき道を進むという過程、それ自体に焦点が当たっているように思えます(もちろん、夢や希望といった要素もこの曲には多いですが)。

例えばアイルでは、

勝算なんてなくたって構わない

賞賛だってなくたって構わない

といった歌詞が繰り返し出てきます。

これらの歌詞で思い出すのは、プラリネで出てきた「後ろ指さされるくらい怖くなんてない」という歌詞です。これらの歌詞の示すものは似ていますが、少し異なる点もあります。

一体どこかと言うと、プラリネは「否定的評価をされても怖くない」というものですが、アイルは「叶う可能性も肯定的な評価もなくたって構わない」というものです。

否定的な評価というのは、例え夢を叶えようとも、むしろ夢を叶えていけばいくほど大きくなっていくものでもあるでしょう。つまり、否定的な評価をされていようと夢を叶えることはできる。

しかしながら、アイルはそういった夢を叶える可能性がどんなに低くても構わないといったニュアンスになっています。

「道なき道を進むという過程それ自体に焦点が当たっている」というのはそういうことです。

何回だって迷ったってかまわない
あたしだけの道の先で

アイルにはこういった歌詞もあります。

私は、プラリネは迷いや不安を正直に描いている曲だとも思っていますが、アイルではそういった迷いすらも受け入れるようになっています。その上でなお、自分だけの道を進み続ける。これは、プラリネがあるからこそ出せた答えだと思っています。

アイルにも、目標となる未来や夢といったものが出てきます。それは「辿り着きたい場所」と表現されていて、その場所がどこかと言うと「だれも見たことのない景色」のある場所でしょう。

そんな「だれも見たことのない景色」を目指そうとも(むしろ目指すからこそ)、賞賛が貰える訳ではありませんし、先人が居ない以上勝算だってありません。

しかし、それ故に「道なき道」を進むこと自体に価値があるんだと思います。

だからこそ、アイルの一番最後にある、

進むんだ 先へ…

という歌詞へ繋がっていくのではないでしょうか。

この最後の歌詞こそ、「進み続けること自体に価値がある」という姿勢の表れだと思います。

共に夢を歩むアイドル、ジュリア

ここからがまとめ……というより、この記事はここから先のことを書きたいがために書いたんですが、曲の紹介が予想より長くなりましたw じゃあ書いていきます。

これまでの流星群、プラリネ、アイルを歌うジュリアから見られるアイドル象というのは、共に夢を歩むアイドルというものです。ある意味ではOFAの追加シナリオの雪歩に近いかもしれません。あっちは共に居るといった感じでしたが。

アイマス世界の夢に関する曲というのは、「夢は必ず叶う」といったような感じの前向きな曲が多いです。アイドルからファンへ、あるいはファンからアイドルへの応援歌といった感じですね。

その中で、ジュリアは結構異端なんですよ。

私は、流星群やプラリネやアイルというのは、ジュリアの心境が素直に表れている曲だと思っています。夢の始まりである流星群、一度夢を諦めかけたようなことを匂わせるプラリネ、そしてそれらの曲を経た答えとしてのアイル。

応援歌のようなアイドルソングとは違い、夢が必ず叶うという保証は全くしていません。比較的希望に満ちている流星群ですらそうです。夢へと向かう希望を歌っていても、それが叶うとは言っていない。それどころか不安や迷いも歌詞に込められている。

上記のような応援歌的なアイドルソングとは全く異なっています。安易に叶うと言ってもいないし、自分が必ず叶えられるとも言っていない。ジュリアの曲には不安と迷いがあり、必ず夢が叶うという言葉とは無縁です。

しかし、だからこそ、

未来はきっと子供みたいに信じるほどに光るよ

という歌詞が強く響くのだと思います。

悩んだ末に出した希望だからこそ響くのだし、何よりも力強さを増す。

未来は本当に信じれば光るのか、ということに対する結論は、「きっと」という言葉が示す通りジュリアの中でも出ていません。しかし、ジュリアの場合はそうした確信がないからこそ響く。

だからこそ、ジュリアというのは共に夢を歩むアイドルなのだと思います。夢へ向かう際の素直な心情、その上で出てくる迷いと無力感、そしてその歩みから導き出された結論は、間違いなく似た道を歩む人たちの励みとなる。

プラリネでは「後ろ指さされるくらい怖くなんてない」という歌詞があり、アイルには「勝算なんてなくたって構わない」および「賞賛だってなくたって構わない」という歌詞があります。

これらの歌詞は、一種の強がりでしょう。本音でもあるでしょうが、やはり後ろ指はさされないに越したことはないし、勝算や賞賛もあった方がよっぽどいい。

しかし、後ろ指をさされながら、あるいは勝算も賞賛もない状態で夢の道を歩んでいる人間には、何よりも強く響く言葉でしょう。

ここからは更に私見色が濃くなりますが、ジュリアが一番メッセージを届けようとしているのは少し前の自分なのだと思います。少し前の自分、あるいは今の自分が一番必要としている言葉を歌っている。だから、ジュリアと似た道を歩くファンの心に届く。

上にも書いたように、ジュリアの曲というのは応援歌ではありません。自分の希望や迷い、覚悟を表現している、彼女自身の軌跡を記した曲だと思っています。

しかし、そのような曲だからこそ、賞賛も何もない孤独な道を歩んでいる人間にとっては何よりも励みになる。同じような希望や不安を抱いた人間が居るとわかるだけで、大きな力強さを感じるファンも居るでしょう。

そうした感情をつづった曲を聴く度に、いま夢への道を歩んでいるファンからすれば共に歩いているような気分になる。ジュリアというのは、そういったアイドルとしての一面も持っているのではないでしょうか。

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